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「1浪明治文系学歴コンプ」の僕がくるみに出会って人生変わった話

こんにちは、トマト🍅です。

今日は学歴コンプレックスだった僕が圧倒的強者の存在を知って前向きになったお話です。

1浪明治文系学歴コンプだった僕が人生変わった話

[トマト🍅の受験歴]


・中高時代の「プライド」

僕は埼玉県地元の公立小中を卒業しています。地元にいる間は成績優秀な方で、中学校では生徒会長を務めるなど、人生の黄金期を過ごしました。
その後内申点と運が味方した僕は県内偏差値トップ3に入る県立高校に進学します。

進学したものも、ここはかなり僕の学力に見合っておらず「井の中の蛙」感しかありませんでした。

中学校は家の目の前にあったので通学はめっちゃ楽でしたが、高校は電車に乗って1時間以上かかります。
また中学から引き続きソフトテニス部に所属していましたが、これが結構ブラックで毎日疲れていた思い出しかないです。

それに加えて授業は全然ついていけない状態だったので、当然学力は低迷していました。でもなんだかんだ下の上くらいな感じだったかな。

それでも厄介なのが、県内トップ3の高校に所属しているという「プライド」です。
自分の学力を指し示すものではないのですが、恐ろしいことに最低でも早慶かどっか国立には受かるだろうみたいな考えを持っていたのです。

僕の高校では毎年150人くらいは早慶に受かっていたっぽかったので、なんか行けるかなと思っていたんです。
根拠のない自信がありました。高校生の時の僕はマジでアホです。男子高校生なんてそんなもんですかね。

・現実は甘くない

そんなこんなで現役の時は確か立教の2学部のは出願したのですが後は早稲田と国立だけしか受けず、当然全部落ちました

センターは5科目で6割くらい。多分当時の学力は日東駒専、良くて法政とかそんなもんだったでしょう、知りませんが。

とりあえず全部落ちました。実力はないくせに根拠のない自信はあったので、この時はひどく落ち込みました。

そして翌年駿台お茶の水校に進学(?)します。コースは結構自由に選べるのですが、アホな僕は失敗から学ぶことなく、「1年もあればどんな大学にも受かるだろう」という何の根拠もない自信をここでも発揮し、京大文系スーパーコースを選択します。

結果、当然ながらここでも「井の中の蛙」感を大いに感じることになりました。

僕がいわゆる「中受組」と相対したのは多分この時だったと思います。埼玉は公立こそ至高みたいなイメージがある県で(そういう県は多いと思います)、中学受験をする人はあまり居ませんでした。

でも大宮校ではなくお茶の水校に、しかも京大文系スーパーコースに入ったことで「超エリート高校出身で京大を受けたがたまたま滑ってしまった人たち」と会うことになったのです。

それこそ桜蔭、麻布、開成、武蔵とかの人たちがいました。

今でこそそのレベル感がわかりますが、当時の僕はアホで無知なので何も知らず一緒のクラスに通って同じような学力であろうと考えながら当然のように過ごして居ました。

この時ちゃんとエリート中受組と喋っていれば色々気づけたと思うのですが、彼らはすっごく真面目で全然仲良くなれませんでした。(そしてほとんど会話のないまま京大に受かっていきました)

ここでも問題が起きます。数学の授業が初回から全然分からないのです。
センター数IIBが40点だった僕に合うレベルでないのは明白なんですけどね。なんで誰も止めてくれなかったんだろう。不思議ですね。

そして英語、国語、社会もクラスのみんなに比べてダメダメな僕は、駿台の名物講師からこう言われて改心しました。

「お前らのような進学校のBチームが一番だめ。基礎もなってないのに国立に向けて勉強して、センター終わってから私立の勉強してどっちも落ちる。毎年そんな奴がごまんと駿台にくる。中学校からやり直せ」

ほんとにそうだなあと思った僕は基礎の基礎からやり直すことにしました。ここにきて初めて勉強の仕方が分かったような気がしました。

そんなこんなで1年間勉強してたら、まあまあ成績も上がってきて早稲田B判定くらいまでは来たのです。
センター模試でも5科目で8割くらいにはなりました。これなら早稲田か国立どっちかは受かるだろうと思っていたところで、ひとまずセンター利用で明治と立教に受かりました。

でもそれ以降合格通知が来たのは学習院だけ、と2年目も残念な結果に終わってしまったのであります。

それならまあ、慣れ親しんだお茶の水にまた通いたいと思い、駿台お茶の水講師陣からキャンパスを指さされて「あそこに行くようなことにならないように」と言われていた明治を選択しました。(3年次からお茶の水のキャンパスに変わるのですが、3年次からコロナ禍が始まり、結局通えませんでした。)

[大学生活]


・学歴コンプを抱えた大学生活

ここまで読んでいただいた上でなんなんですが、よくある話ですよね。というか客観的に見ても明治受かってよかったじゃん、くらいの状況ではあります。

しかし最初の半年くらいは明大前に通うのがほんとに嫌でした。だって高校の同期は早慶とか東大やら一橋やらに行っていて2年生なわけで、1浪明治などまあお話にならず、残念だったねと言われる始末です。

明治は結構そういう人たちが多くて、図書館に赤本持ってきている人もちらほら見かけるし、僕も仮面浪人じみたことを最初はしていました。

結局は大学で仲の良い友達と出会ったり、K-POPにどハマりしたりして楽しく過ごせるようになったのですぐ慣れちゃったんですけどね。ま、後から考えるとそれでいいと思います。

それでもやはりいろんな拍子に顔を出してくる学歴コンプには正直参りました。

大学は楽しいのでどうこうしようという気はないのですが、明治はいわゆる「私大ピラミッド」の中にあるわけで、他の地方国立などに行けば話は変わるんですが、やはり上下感を感じざるをえないことが多いです。

・くるみ🐿️との出会い

そんな大学3年生の春、新しく始めたバイト先で僕はくるみに出会いました。

くるみとの最初の会話はこんな感じです。

🍅「お疲れ様です。(なんか仕事の話を挟んで)大学生ですか?」

「はい、そうです。」🐿️

🍅「大学どこなんですか?」

「慶應です。」🐿️

🍅「(おお、慶應だ…すげえ…)そうなんですね!学部は?」

「医学部です。」🐿️

🍅「(話かけてすみません…)話かけてすみません。」

本気で、身分が違う人と出会ってしまったと思いました。それでも配属先も一緒だってことからLINE交換して、なんとかご飯に行こうという流れまでこぎつけました。

そこから紆余曲折あって付き合うことになったのですが、話をしているとほんとにびっくりすることだらけでした。

・知らなかった世界

そもそも医学部の人ってあんまり会ったことなかったし、その世界の話からびっくり。またSAPIXや鉄緑会の話を聞いてびっくり。

そんな組織があることを埼玉公立主義で育った僕は知るよしもなかったのです。周りにいないし、本当に知らなかったのです。

中学受験のヤバさ、中受組がどういう生活をしてきたかということを。

僕は思いました。「ああ、大学受験って小学校(ないしもっと幼少期)から競争が始まってるんだ。しかも課金制なんだ。それは勝てない。」と。

中学からソフトテニスを始めた僕がジュニア出身の選手と対戦する時の気持ちです。それは勝てない。

よく考えたら当たり前なんですけどね。肌で体感した時にはそういうことを思いました。

その後くるみ🐿️の友達にも会う機会がありました。登場人物は皆東大か医学部、それどころか理Ⅲやハーバードまでいました。

そういった世界を知ってから、僕の学歴コンプは無くなりました。彼らからしたら、文系である僕が明治か早稲田かなど、もはやどんぐりの背比べです。

逆にくるみ🐿️は僕に会うまでMARCHの人に会ったことがなかったと言いました。

都内のそこら中にいるのにです。そうこの人口の0.1%未満であろう高学歴集団はその集団でのみ生息しているため、僕ら一般人からすると存在が疑問視されるほど出会う機会がないのです。

僕はそういう世界をひょんなことから覗き見できたことが幸運でした。

学歴コンプのついでに無駄なプライドも無くなりました。

僕は根拠のない自信により自分がそこそこ有能であると思い込んでいましたが、レベルが全く違う人たちに会い、別に普通の人間であると理解できるようになったからです。

そこからは気が軽くなりました。生きるのが楽になりました。「圧倒的なもの」に触れることが解決策だったのです。

その後、くるみ🐿️は慶医を中退して、紆余曲折あって外銀に入ったりもしますが、その話を聞きながら自分が一生関わることのなかった世界について知れて、人生の参考にもなりました。

くるみ🐿️に出会わなかった僕は今頃どうしているでしょう。まだ自分を卑下しているでしょうか。学歴ロンダリングを目論んだでしょうか。

いずれにせよ、学歴は僕の一部分に過ぎません。僕は「1浪明治卒」。それ以上でもそれ以下でもなく、なんら特別な意味を持つことはないです。

今の僕が学歴とは何かを一言で表すなら、「やっぱり明治がNo.1」ですね。

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